08年11月18日に日本山村会議in郡上の開催に向け、開催呼びかけ人を中心とする会議と「粥川風土記」の上映会が開催されました。
当日は、その記録映像を撮られた「民族文化映像研究所」の姫田忠義氏から、研究所の活動のご紹介と郡上開催に向けてのお話がありました。以下はそのお話の抜粋です。
民族文化映像研究所は1961年から活動をはじめ、すでに40数年以上が経過した。主として日本列島に暮らしている庶民の基層を見つめるという作業を映像に残してきた。
「粥川風土記」もその一環として撮らせていただいた。
粥川のあるこの郡上という地域の大きな特徴として、「長良川という水系の源流域がそのまま市域となっている」ことにあると考える。このようなところは他に類例がないと思う。
もともとの郡上郡(藩)もこの市域と同様であり、古来からこの地域はそのような特徴の中で人々が暮らしてきたということになる。
それも、世界に誇る清流である長良川流域の上流ということは大変大きな意味をもつと思い、長らくこの地に通わせていただき撮影を続けてきた。
この地域で暮らし、生活を守り続けてきた先人の尊い知恵と文化を世界にも発信したいと私は思っている。
日本山村会議発足のきっかけは、飛騨の白川郷で、研究所主催のセミナーを開催し、撮影を行った全国各地から参加者が集まり、さまざまな話合いの結果、2年後の1998年に会を立ち上げ、越前福井の地で第一回目が開催されて以来、今日までに6回開催されてきた。
私はこの地にとっては他者でありよそ者ですが、だからこそこの土地の人に学ぶ事ができる。山村会議では外から来たよそ者が、この地で生きてきた人の生活のありようを学ぶ事ができる。同時にその他者から土地の人は「この地域に生きる事の意義」を他者の視点から学ぶ事ができる。それが山村会議の持つ一番の利点であり、それが「他者に学ぶ」ことの意義であると考える。
山村会議が他者にとっても、この地で生きる人にとっても、これからを生きていくための一つのきっかけになる事を望んでいる。
2009年2月20日金曜日
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「新編 粥川風土記 ―清流・長良川の源流域に暮らす―」DVD版について
「新編 粥川風土記 ―清流・長良川の源流域に暮らす―」について2009年/84分/
撮影地:岐阜県郡上市美並町高砂
空、そして山。
水は、この空々たる世界から生れる。
水は、万物をうるおす。
人も、その恩恵のなかにある。
日本は国土の70%以上が山地におおわれた山国である。
また、水に恵まれ、草木の成育条件に恵まれた水の国、森林の国である。が、近年、その山や水、森林の荒廃が激しい。
いったい日本の自然は、そして人間の生活、文化はどこへ向かおうとしているのか。
日本屈指の清流・長良川の源流域南端部にある支流・粥川。 この作品はは、その粥川流域の人びとが、いかに山や水に接し、そしていかに人と人のつながりの歴史を培ってきたかをたづねたドキュメンタリーである。
長良川の水がきれいなのは、支流の水がきれいだからである。 粥川と長良川の合流点に立てば、それが誰の目にもわかる。一目瞭然である。 では、なぜ、粥川の水は、長良川の本流のそれよりきれいなのか。 「新編 粥川風土記」は、おのずからその理由に踏み込んでいく。
自然の水、自然の流れがきれいなのは、その自然そのものの力であり姿である。と同時に、それに寄りそって生きる人の生活のありようと心の反映である。
この地の人々の心を知りたい。 この作品には、おびただしい人びとの姿と声があらわれてきます。
撮影地:岐阜県郡上市美並町高砂
空、そして山。
水は、この空々たる世界から生れる。
水は、万物をうるおす。
人も、その恩恵のなかにある。
日本は国土の70%以上が山地におおわれた山国である。
また、水に恵まれ、草木の成育条件に恵まれた水の国、森林の国である。が、近年、その山や水、森林の荒廃が激しい。
いったい日本の自然は、そして人間の生活、文化はどこへ向かおうとしているのか。
日本屈指の清流・長良川の源流域南端部にある支流・粥川。 この作品はは、その粥川流域の人びとが、いかに山や水に接し、そしていかに人と人のつながりの歴史を培ってきたかをたづねたドキュメンタリーである。
長良川の水がきれいなのは、支流の水がきれいだからである。 粥川と長良川の合流点に立てば、それが誰の目にもわかる。一目瞭然である。 では、なぜ、粥川の水は、長良川の本流のそれよりきれいなのか。 「新編 粥川風土記」は、おのずからその理由に踏み込んでいく。
自然の水、自然の流れがきれいなのは、その自然そのものの力であり姿である。と同時に、それに寄りそって生きる人の生活のありようと心の反映である。
この地の人々の心を知りたい。 この作品には、おびただしい人びとの姿と声があらわれてきます。